前橋地方裁判所 平成3年(ワ)199号 判決 1992年12月15日
原告
鈴木礼司
原告
鈴木賀南子
右両名訴訟代理人弁護士
及川信夫
同
西内聖
同
奥内雅彦
被告
桐生市外六箇町村医療事務組合
右代表者管理者
日野茂
被告
甲野一郎
右両名訴訟代理人弁護士
山岡正明
同
白田佳充
同
小暮清人
主文
一 被告らは、連帯して、原告ら各々に対し、各金一六五万円及び内金一五〇万円に対する平成元年三月二八日から、内金一五万円に対する本判決確定の日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告ら、その余を原告らの負担とする。
事実及び争点
第一請求
被告らは、連帯して、原告ら各々に対し、各金一七〇五万円及び内金一五五〇万円に対する平成元年三月二八日から、内金一五五万円に対する本判決確定の日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(原告らは、訴状の請求の趣旨では、被告らの連帯の支払いを主張し、平成四年八月二五日陳述の準備書面の請求の趣旨の変更では連帯の請求をしていないが、事案の性質から、連帯請求の点は、請求の趣旨の変更はなかったものと解する。)
第二事案の概要
一妊娠の可能性のある母が、風疹に罹患したことを危惧し、異常児出産の心配があったため、病院で妊娠の有無、風疹罹患の有無の診断を求めたところ、病院では妊娠していることの診断はしたが、風疹罹患の事実を看過したため、先天性風疹症候群による障害を負った子が出生したとして、両親から病院及び担当医師に対して損害賠償を求めたものである。
二当事者間に争いのない事実
1 当事者
原告両名は夫婦であり、その間に長女彩紗子が平成元年三月二七日出生した。
被告桐生市外六箇町村医療事務組合(以下「被告組合」という。)は、桐生市とその周辺六箇町村により医療保険事務・病院経営のために設立された地方自治法に基づく一部事務組合であり、桐生厚生総合病院(以下「被告病院」という。)を開設し、被告甲野一郎(以下「被告医師」という。)を医師として雇用のうえ使用している。
2 診療契約と診療経過
原告鈴木賀南子(以下「原告賀南子」という。)は、昭和六三年七月二一日、被告病院に受診し、被告組合との間で診療契約を締結し、まず皮膚科にて、担当の被告医師の指示により風疹抗体の検査を受け、次に産婦人科にて妊娠の確認検査を受けた。
原告賀南子には、五日前より顔面にはじまる全身の発疹があり、体温は七月一七日38.7度C、受診当日は36.8度Cで、顔面、躯幹、四肢の発疹は暗淡紫褐色、手背のみ鮮紅色、風疹抗体価は五八年三月の時一六倍(この値を被告医師が原告賀南子より聴取したことは当事者間に争いはないが、その聴取時期については、原告らは再診日の七月二八日と主張し、被告らは初診日の二一日と主張する)で、最終月経六月一四日その後無月経、顎下リンパ節を押すと少し痛がる、といった症状であった。被告医師は、全身の発疹、発熱よりウィルス性の感染症(特に風疹、麻疹)を疑い、抗体価を調べ、溶連菌感染症に関する検査をするとの診断をし、処置としては、非ステロイド性の消炎剤の軟膏を投与した。
原告賀南子は、翌二二日、電話にて被告病院産婦人科より妊娠している旨の検査結果通知を受けた。
原告賀南子は、同月二八日、再度被告病院に受診した。症状としては、発疹については殆ど消えていたが、治った後の点状色素沈着が残っていた。検査結果として、風疹抗体価は六四倍、麻疹抗体価は四倍未満、ASLO値は一六〇T・U、ASK値は六四〇倍であった。
3 風疹の危険性とその診断
風疹は、発疹・発熱及びリンパ節腫脹を主要症状とするウィルス感染症であり、特に妊娠初期の女性が感染すると胎児に心奇形・白内障・難聴の三主徴の外、血少板減少性紫斑病・肝炎・骨障害・低体重児出生などの先天性風疹症候群を発生させるので、非常に危険である。このことは、昭和五〇年から昭和五五年にかけての日本における風疹の大流行及び風疹症候群に悩む子供の問題で社会的にも大きくクローズアップされ、以来、妊娠初期における風疹罹患の胎児に与える危性は医学界のみならず、一般の常識ともなっている。
風疹の判定については、原告賀南子の場合のように、初診時風疹抗体価が一六倍であったとしても果たして予防接種をしているのか、かつて風疹に罹患したことがあるかによって一六倍の評価は異なってくる(また、通常一六倍では予防接種はしない。)。また、風疹抗体価六四倍は弱陽性の値であり、一回の値だけでは断定できない。かつての一六倍と術者、場所も異なり更に再度の検査が必要であった。
三争点
1 原告らの主張
(1) 前記争いのない事実3記載のとおり、妊娠初期の風疹罹患が胎児に及ぼす危険性を顧みるならば、専門家たる被告医師は、風疹特有の症状を示して風疹罹患の有無につき厳密な判定結果を求めて受診した原告賀南子に対しては慎重に風疹罹患の有無の判定を行うべきであって、少なくとも二週間以上の間隔をあけて二回以上採血して抗体価の測定をしたうえで最終診断をすべきであり、原告賀南子において健康児を出産できるよう配慮し、妊婦に異常児出産の危険性が認められるような場合は、その危険性の有無や程度を十分な検査等により的確に診断すると共に、その危険性につき十分な説明を行い適切な指示をすべき注意義務があった。
ところが、被告医師は右注意義務を遵守せず、ただ一度の採血による抗体価の測定結果に依拠して、採血後わずか一週間で風疹ではなくウィルス性皮膚炎と安易に診断した。
その結果、右診断結果を信じて安心した原告夫婦は出産の決断をし、その結果出生した彩紗子は、先天性風疹症候群による聴覚・視覚及び心臓にそれぞれ感音性難聴・先天性白内障及び心室中隔欠損症の障害を負った。
障害を担う彩紗子はもちろんのこと、原告夫婦においても父母として非常な精神的苦痛及び物質的損害を受けており、これが将来にわたってつづくことは明白である。
被告医師の過失により原告らが受けた後記の損害につき、原告らは、債務不履行または、不法行為に基づき請求するものである。
そして、被告組合は、被告医師の使用者としての責任を負うものである。
(2) 損害
ⅰ 慰藉料 原告ら各自につき一〇〇〇万円
既に記載してきた事情により、彩紗子の両親としての原告らの受けた精神的苦痛に対する慰謝料
ⅱ 特殊教育費用 原告ら合計一〇〇〇万円で各自につき五〇〇万円
障害児なるが故に普通児より特に必要とされる両親の不可避の責務としての医療や介護や特別教育の費用も損害として認容されるべきである。障害児を出産する可能性が極めて高い妊婦に対し中絶する選択をなしうるための情報を両親から奪って事実上は障害児を出生さすことを強要している一方で、両親の責務として当然に両親が負担せざるを得ない重い負荷を課せられた子の障害の治療や看護や教育の費用の賠償を否定するのは、法の基本理念の正義・公平に反することは当然であるからである。被告医師が原告賀南子に対し、風疹による障害児が生まれる可能性はないと診断を下したことは、ある意味では、障害児についての経済的負担から開放されることの保証を原告らに与えたと考えられる。したがって、被告医師は右保証に通常含まれる範囲のものについては責任を負うことが当然である。
この特殊教育の費用として少なくとも一〇〇〇万円が必要であり、原告らが負担することになる。
ⅲ 眼鏡・補聴器費用 原告ら合計一〇〇万円で各自五〇万円
ⅳ 弁護士費用 原告各自につき一五五万円 合計三一〇万円
前記までの請求損害額の一割
以上合計両名 三四一〇万円(原告ら各自一七〇五万円)
2 被告の主張
(1) 昭和六三年七月二八日、被告医師は原告賀南子を診察した際に、風疹、麻疹の確定診断のためには回復期の採血検査が必要なので、更に一週間後に来院するよう説明のうえ指示したが、原告賀南子は来院しなかった。したがって、被告医師は風疹か否かの診断を下していない。
風疹HI抗体の評価が妥当であるためには、第一回目の検査後二週間以上の間をおいて、更に検査を要することは医師の常識である。
それ故被告医師が、六四倍の抗体価であることを認識しながら、次回の回復(二週間以上)の検査を指示しないなどということはありえない。
(2) 風疹罹患は、優生保護法上の中絶の理由となっていないのであるから、そのことの不告知と彩紗子が障害をもって出生したこととの間には因果関係がない。
第三争点に対する判断
一彩紗子の障害
彩紗子は先天性風疹症候群による聴覚・視覚及び心臓にそれぞれ感音性難聴・先天性白内障及び心室中隔欠損症の障害を負って出生したこと、その原因が、原告賀南子が風疹に罹患したことにあることが認められる(<書証番号略>)。
二被告医師の診断
1 原告賀南子は、昭和六三年七月二一日被告病院で受診した際に採血をし、その風疹抗体価の検査をしたが、同月二八日その結果が六四倍であることが判明した(当事者間に争いはない)。その時点で、原告賀南子の風疹罹患の可能性は、確定的に診断することは不可能であったが、しかし、その他発疹が出ていたこと、リンパ節が顎の下に一つあったこと及び受診四日前の七月一七日の体温が38.7度Cであったこと等の症状は、風疹の臨床的な診断法としての三大症状としての発疹、中程度の発熱、リンパ節の腫脹を備えていることを加味すると、その可能性は相当高く、当時の医学的水準の常識からいって、更に二週間から四週間ほどの間隔をおいて、抗体価の検査をしたうえで確定的診断をすべき状況にあったと認められる(証人松本芳郎、被告甲野、<書証番号略>)。
2 そこで、被告医師は、再検査の指示をしたかどうかを判断する。被告医師はその本人尋問の結果において、二八日の診断の時点で、再検査(ペア検査)の必要を認めたので採血を指示したはずであるが、現実にしたか否かは記憶がないという趣旨の供述をしている。また、その日のカルテである<書証番号略>には、被告医師が右指示をした趣旨の記載はない。
それに対して、原告賀南子はその本人尋問の結果において、二八日に被告医師より、風疹抗体価が六四倍であるとの説明を受け、風疹ではなくウィルス性発疹であるとの診断を受け、再検査の指示は受けていないという趣旨の供述をしている。原告賀南子は、妊娠初期における風疹罹患が異常児出生の危険を持つとの知識を有していたため、わざわざその診断を求めて、被告病院へ行ったものであることが認められる。そうとすれば、同人は、風疹の罹患の有無に強い関心があったわけで、その点についての被告医師の説明や指示を誤解したり、聞き逃したりすることは考えられない。もし、被告医師が、再検査の指示をしたとすれば、当然採血の必要があったわけであるが、被告病院では、診察室とは別の場所である血液を採るコーナーで採血することになっている(原告賀南子)が、二八日に採血をしたとの事実を認める証拠はない。しかも、同人の記憶は詳細且つ鮮明であって、十分信用に値する。
以上の観点から、被告医師は、二八日に、風疹罹患の可能性を否定する診断をして、再検査の指示はしていなかったものと認められる。もちろん、医学的に専門家ではない原告賀南子の本人尋問の結果の中に、被告医師の説明についての部分に、風疹も医学的にはウィルス性発疹症に含まれるのに、そうでないかの如く供述している等多少矛盾があるが、当時原告賀南子は風疹罹患の有無についてのみ関心があったわけであるから、その診断結果についての被告医師の説明を誤解することは考えられないので、その矛盾によっては右認定は左右されない。
3 被告医師には、専門家として、その時期の医学的な水準に依拠した方法により、適切な検査方法を選択し、その結果を的確に評価し、それに基づいた診断をなすべき注意義務が課せられていると考えるべきである。そうとすれば、被告医師は、原告賀南子に対して、風疹抗体価の再検査の指示をだすべきであったが、これをなさずに、風疹罹患の可能性を否定するという、当時の医学的常識に反した診断をした点で過失があると言わざるを得ない。
三因果関係
1 次に、被告医師の過失と彩紗子の障害についての因果関係について判断する。彩紗子の障害が原告賀南子が妊娠初期に風疹に罹患したことに基づくことは前記判断のとおりである。そして、被告医師が原告賀南子の風疹罹患を過失により看過したことは前記のとおりである。問題は、もし、被告医師が正確に原告賀南子の風疹罹患を判定して、これを同人に伝えていたとすれば、彩紗子の障害は回避できたかというと、否定せざるをえない。つまり、彩紗子の障害は、被告医師の誤診に起因するものではなく、被告医師の診察以前に原告賀南子が風疹に罹患したことが起因である。そうなると、原告賀南子が被告医師の診断を求めてきた昭和六三年七月二八日の時点では、事後的にみると客観的には、彩紗子は障害をもって出生するか、出生しないかという可能性しかなかったことになる。原告らの請求の当否は、結局彩紗子が障害をもって出生したことと、出生前に人工妊娠中絶されてしまって出生しなかったこととの比較をして、損害の有無を判断することになるが、このような判断は、到底司法裁判所のよくなしうることではなく、少なくとも、中絶されて出生しなかった方が、障害をもって出生してきたことよりも損害が少ないという考え方を採用することはできない。
まして、現在の優生保護法によって、本件のような場合には、人工妊娠中絶は認められないと解せられる以上、法的に見ても、原告賀南子が彩紗子を中絶することは不可能であったのだから、元々、前記のような比較をすることはできないのである。
ちなみに、原告らは、現行優生保護法によっても、本件は、同法一四条一項四号の「母体の健康を著しく害するおそれ」のある場合に該当するから人工妊娠中絶は許されるとする。その理由として、もし、妊娠中に異常児の出産の可能性を告げられたとすれば、妊婦は精神的に動揺し、ひいては母体に悪影響を与えると主張する。しかし、本件では、被告医師が、原告賀南子に風疹罹患を告げなかったことを理由に本訴を提起しているのであるから、その主張自体矛盾であるし、そもそも、異常児の出生の可能性は、合法的な妊娠中絶の理由にはならないと解する<書証番号略>。もちろん、当裁判所は、現実には違法な中絶が行われているという実情が仮にあるとしても、それを前提に判断することはできない。
以上の判断は、不法行為としての過失と損害の因果関係を判断したものであるが、債務不履行における因果関係の判断と同じことになる。
2 以上のとおり、被告医師の過失と彩紗子の障害との間には因果関係は認められない。
しかし、原告賀南子は、妊娠初期における風疹罹患が障害児出生の危険を著しく増す危険を考慮して、わざわざそのために風疹罹患の有無の診断を被告医師に求めたのであるのに、被告医師は、前記過失によりその診断を誤ったものである。もし、被告医師が、正確に診断し、その結果を原告賀南子に伝達していたとすれば、原告らは、中絶は不可能であったにしても、彩紗子の出生までの間に、障害児の出生に対する精神的準備ができたはずである。
しかし、現実は、信頼しきっていた被告医師の診断に反して、先天性風疹症候群に基づく障害をもった彩紗子の出生を知らされたわけであるから、その精神的驚愕と狼狽は計り知れないものがある。特に、原告賀南子は、一般的水準より高い風疹に対する知識と関心をもち、十分な準備をして被告病院の診断を求め、診断に対する患者としての医師への情報の提供も極めて適切であったことを考えると、本件の被告医師の過失に基づく誤診は、大きな精神的苦痛を与えたことが推認できる。
以上の諸般の事情を考え併せると、そのための慰藉料は、原告各自につき一五〇万円が相当である。したがって、原告らは、不法行為により、前記賠償をなすべき義務があると考えられる。
四その他の損害
また、原告らが、本件を弁護士に委任して訴訟を遂行したことは弁論の全趣旨によって認めることができ、その費用のうち、原告各自につき右慰謝料額の一割に当たる一五万円の範囲で原告らの損害であると認めるのが相当である。
五よって、原告らの請求のうち、被告らは、連帯して、原告ら各々に対し、各金一六五万円及びうち慰謝料金一五〇万円に対する彩紗子の出生の翌日である平成元年三月二八日から、うち弁護士費用金一五万円に対する不法行為の後である本判決確定の日から、各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める範囲では理由があるのでこれを認容し、その余の原告らの請求は、その余の事実について判断するまでもなく失当であるからこれを棄却する。
(裁判官鈴木航兒)